北九州で生まれ
幼少期は千葉県のマンモス団地という
環境でうんざりするくらいの集団生活を
訓練しました
昭和40年生まれですが
決して広くはない3DKの住まいには
4人家族から6人家族が常に
満室状態で暮らしており
子供会の行事も華々しいものでした
子供ながらに複雑な人間関係を学び
決して純粋な子供心を育んだとは
言えない心の内を抱えながら
そんな環境からの自立を無意識のうちに
常に願って大人になってきたと思います
早いうちに実家を離れ
神奈川県でこれまでの自分を壊していくような
選択をして痛い思いもしながら
自己探求をしてきたように思います
思春期に拒食症を体験したことも引き金になり
心理学に興味を持ち
数年で完治してからは益々心の世界に関心が深くなりました
大学院卒業もしていない自分には臨床心理士にはなれないと
いう決めつけを心に仕舞い込み
会社員時代を楽しみながらも先輩や後輩の悩みを
聞く機会も多く心についての講義や
文献を好む習慣がさらに定着したのだと思います
セラピストとしての道へと誘ってくれるような
不思議なシンクロがたびたび起きる時期を
過ごしながら勇気を出して飛び込んだ学びの世界が 当時ブームになり始めていた癒しスクールでした
整体や心理セラピーアロマなどの総合的な科目のある
スクールに会社員の時に通学しながら学びました
とても忙しい日々でしたが疲れを知らない子供のようでした
そんな中で会社員の私に癒しの仕事を展開して
見ないかと社長が提案してくれたのです
副業部門を引っ張って行くことになりました
しかも社長が若き頃に催眠療法を学んでいたんですね
これにはびっくりしました
恥ずかしいから隠していたそうです’(笑)
私のお習い事の中に催眠療法とユング心理学が
あることに衝撃を受けワクワクしながら
昔学んだ催眠療法を悩んでいる人達に活用したい
という気持ちが湧き上がって止まらなくなり
勧めてくださった社長も参戦することに決まりました
癒しの森とウーマンヒーリングフォレストという
男性オッケーサロンと私の女性専門サロンの展開です
同僚達はありえない展開に驚き
当時そんなことが仕事になるんか?
赤字決定の
社長まで巻き込んで失意のどん底に落ちいるであろう
私のことが心配ですし
それが会社全体に社員達にどのような影響を与えるのか
不安だったようです
それはそうですよね
催眠療法、心理、のお仕事を
医療従事者ではない者が始めるのですから
当時の私もある意味なんてふてぶてしい神経を
していたんだろうと思います
不思議な事にどう展開するか
どのようなセラピーをしていくかに
夢中になり失敗したらどうしょう
みんなに迷惑かけたらどうしょうという
思いに注力できませんでした
幸運な事に会社に副業部門として認めて
頂きましたし
手の空いた時には
同僚のみんなが関心を持って
応援してくれました
今のセラピストとしての私を生み出してくれたのは
応援してくれる仲間の存在
セラピストの私が時に落ち込んだ時など
催眠療法や心理を学んでいるわけではない
仲間の励ましや勇気を出して飛び込んだ新しい世界の
セラピストの学び仲間のサポートのおかげなのです
人を信頼することが怖かった幼少期から
今の人生にシフトできました事は私の魂の課題そのもの
かもしれません
癒し人やヒーラーさんは
私達の周囲にいますよね
私はそれをお仕事にすることで
わかりやすく学ぶ人生を
選んで生まれてきたのでしょう
さりげなくできないんでしょうね(笑)
休業期間もございますが
今年でサロンのお仕事も26年目です
ヒプノセラピストとしては24年目です
これまで私のサロンにいらしてくださっている皆様の
職業も様々です
看護師さん お医者様 女優さん モデルさん
能楽師さん セラピストや占い師さん セミナー講師さん
ミュージシャン スポーツ選手さん アーティストさん
難儀であっても今生の役割をこなしながら
内面の意識にご関心と興味を持って
くださる
主婦や会社員の皆様
隠れヒーラーさん魔女さんは
上手に目立たないように
暮らされていたり
ご自分で気づいてなかったり
あえてその性質が際立つような
職業を選択していないので
発見するたびなんだか嬉しくなります
ヒプノセラピーやカードセラピー
スピリチュアルなお話を楽しんでくださり
ご縁を頂けます事に心より感謝したします
なぜこんなに料金安いんですか?
と言われる事もございますが
気持ちよく皆様から
お金というエネルギーを循環させて
いただければと思いますので
よろしくお願いいたします
若き頃のようにひと月最高95人のセッションを
行えなくなりましたが
心を込めてお一人様お一人様に
向き合わせて頂きご満足して頂けますように
精進しております
皆様にお目にかかれます事を楽しみにお待ちしております